4ウェイドップラ観測から得られた月の裏側の重力場

本内容は2009年2月13日 (米国時間) 発行の米科学雑誌「サイエンス」(オンライン版) に掲載された論文「Farside Gravity Field of the Moon from Four-way Doppler Measurements of SELENE (Kaguya)」に関するものです。

かぐや重力場モデル(SGM90d *3)による重力異常図

かぐや重力場モデル(SGM90d *3)による重力異常図.左は月の表側を北東から見下ろした図.
右は裏側を南西から見上げた図.赤色は重力が強い地域を,青色は弱い地域を表している。 (処理・解析: 九州大学、国立天文台)

リレー衛星 (おきな)を用いた世界で始めての月の裏側の重力場の直接観測により、三つの新しい知見が得られました。

第一の知見・・・月全体の重力分布を観測しました。 (上図) 特に月の裏側の重力異常*1が「かぐや」の観測によって初めて明らかになりました。 (上図右) 以前から月の表側にはマスコン*2と呼ばれる強い正の重力異常が見つかっていました。 (上図左の赤丸) 一方、月の裏側は観測データが乏しく、東西南北に伸びた細長い筋状の重力異常があるだろうと推測されていました。 しかし、このような重力モデルは月表面のクレーター地形にそぐわないので、月科学の大きな問題でした。「かぐや」の観測では、裏側の重力異常はクレーターや盆地にふさわしい丸い形をしていることがはっきりと示されました。


かぐや以前のモデル(LP100K*4)による裏側の重力異常図かぐや以前のモデル(LP100K*4)による裏側の重力異常図.上段右図と同じ方向から見ている.

*1 重力異常: 月の重力は一様ではなく、地形や地下に存在する物質の密度に応じて、地域毎にごくわずかな重力の強弱があります。それぞれの地域での重力値から月全体の平均を引いた差を重力異常と呼びます。
*2 マスコン: 衝突に伴うクレータ形成過程で、過剰なマントル上昇や玄武岩の海の集積が起きることによって質量の過剰集中が保持され、正の重力異常=マスコンが生成されます。
*3 SGM90d: かぐやの観測データから作成された重力場モデル。
*4 LP100K: NASAのコノプリフ博士らによって2001年に発表された月の重力場の地図。Lunar OrbiterやApolloから最新のLunar Prospectorに至る米国の探査機が取得したデータを総合的に解析した結果。

盆地の重力異常(上段)と地形(下段)

盆地の重力異常(上段)と地形(下段)
左からローレンツ盆地(Type I)、ヘルツシュプルング盆地(Type II) 、雨の海(マスコン) (C)JAXA/SELENE  処理・解析: 九州大学、国立天文台

第二の知見・・・月盆地*5の重力異常は三種類のタイプに分けられることが明らかになりました。第一のタイプ(Type I,図左)は中心から外側に向かって重力異常が正~負~正のリング形をしています。第二のタイプ(Type II,図中央)も正~負~正のリング形をしていますが,中央のピークが第一のタイプに比べてやや低く,盆地内部には溶岩噴出の痕が残されていることがあり ます。第三のタイプは以前からマスコンと呼ばれていた重力異常(図右)で,台地のように山頂部が平らで,周囲が切り立った形をしています。マスコン盆地の 内部は例外なく多量の溶岩が噴出しており,第一,第二のタイプのような大きな窪みは溶岩で埋まっています。(図右の下)

*5 盆地: 直径が200 kmを越える大型クレーター。構造変動の痕跡を残しているものが多く,クレーター内部に溶岩が噴出している場合もあります。

三つのタイプの盆地の分布

三つのタイプの盆地の分布
左は月の表側を北東から見下ろした図、右は裏側を南西から見上げた図 (処理・解析: 九州大学、国立天文台)

第三の知見・・・三つのタイプ(前頁)の盆地は、月の内部構造や進化に強く関連していることが推測できました。第一と第二のタイプは、地殻とマントルが冷た く、固い状態でおきた衝突盆地です。第一のタイプは、盆地形成後現在まで地形が凍結されたままでしたが、第二のタイプは中央部が落ち込み、地殻の亀裂を伝 わって溶岩が噴出したと推定されます。一方、マスコン盆地は、衝突が起きた後も地殻とマントルが暖かく、柔らかい状態で形成されたと考えられます。マスコ ン盆地形成後には激しい溶岩噴出がおきました。三つのタイプの盆地には形成年代に大きな時間差はありません。しかし、月面上での分布に偏りがあります。第 一のタイプと第二のタイプは裏側に、マスコン盆地は表側に分布します。従って、盆地が形成された40-35億年前頃の月内部は表側が高温で、裏側が低温 だったことが分かります。このことは月の表側と裏側の二分性が表面だけではなく、内部にまで及んでいることを意味します。また、表側と裏側の温度の違いは 月の進化に大きな影響を与えたはずです。

当該のデータ処理は、RSAT/VRAD 観測機器チームが実施しました。

※RSAT/VRAD観測機器チーム: 九州大学 (RSAT主研究者)、天文台 (VRAD: VLBI衛星電波源主研究者)、宇宙航空研究開発機構などの研究者が参加

これは月の裏側の重力分布を示した論文である。これまで間接的にしか推定されていなかった月の裏側の重力場をはじめて直接測定したものとして、惑星科学者の長年の夢がかなえられた研究成果である。この論文のFig.2は歴史的なものとして長く記録に残るものとなろう。月の表側と裏側の盆地における重力異常の様子が著しく異なることは、予想もされていなかった新事実であり、これは月の進化についてこれまでの考え方に再考を促すものである。

今回の論文は、いずれも月の科学を革新する素晴しい研究成果であると言える。これからもさらに新しい成果が生み出されることが予見される。これらの各観測器によるデータの解析に加えて、これらを総合的に検討することによってさらに新しい月の姿が生み出される物と思われる。   水谷仁
水谷仁(みずたにひとし): 宇宙航空研究開発機構名誉教授 科学雑誌「ニュートン」編集長。著書は「クレーターの科学」(東大出版会、1980年)、「月の科学」(岩波書店 、1984年)、「月の科学」(スプリンガー、P. Spudis著、水谷訳、2003年)など多数。